ypc
≪趣味≫ ・運動(野球、スノボ、マラソン、サーフィンなど)
・芸術鑑賞(絵画、彫刻、映画、演劇など)
・料理
・まち歩き
≪特技≫ マッサージ


a
よくうちに来ていた大工さんに現場を見せてもらい、日本建築の技術の面白さを幼心に感じていた。
畑、田んぼ、森の中で毎日目いっぱい駆け回っていた。
原風景は、畑、たんぼ、森、木材、かんな、のこぎり、山盛りのご飯・・・
a 体育、図工、技術・家庭科大好き。
音楽の先生には良く褒められていた。合唱コンクールのメンバーにも選ばれた。
当時から雨男。6年間の運動会のうち、4回は雨天中止。
小2から剣道を始める(小6まで)。
小4から野球を始める(高3まで)。
野球では、キャッチャーを守り、市の大会では二回優勝した。
aa 学校の部活には入らず、硬球で野球ができる、シニアリーグというのに所属。
思い出はそれぐらいしかない。。。

このころはあまり建築とかへの意識はあまり無かったが、ハウスメーカーの作る家に対し、僕が住んでいた日本家屋はなんてすばらしいんだろう、なんて落ち着くんだろう、という印象はそのころからあった。

a
あの長嶋茂雄氏の母校、千葉県立佐倉高等学校に入学。もちろん野球部。

マラソンの小出監督も一時期、佐倉高校の陸上部の監督をしていたらしいです。 野球部のマラソンコースと、積水のマラソンコースが一部一緒なので、よく有森選手とかと競走しました。

高校の行事で、毎年「強歩大会」というのがあり、30kmの距離を歩いた(野球部は走った)。
印旛沼、風車(佐倉市はオランダの都市と姉妹都市)、田園風景、河川沿いを歩き、自分の暮らしている環境を考える、今となっては大変すばらしい企画だった。
 

高1のとき阪神淡路大震災発生。報道される光景、続々出版される防災計画、耐震構造技術の本を見て、このときは主に建築構造に関心を持ち始めていた。また家庭科の授業で、日本家屋の間取りのことなどを取り上げた授業があり、暮らし安い住宅をつくりたい」という考えをもち始めた。

建築をやりたい、と思った。

a
横浜国立大学工学部建設学科建築学コースに入学。

建築学に燃えると同時に、アメフト部のトレーナーもやった。
高校時代から怪我が多く、よく自分でスポーツ医学関係の本を見ていたため、関心があったし、建築家たるもの、人間のことを良く知っていなければならない、という考えもあった。
建築の勉強と両立できるか心配だったが、ある先輩から、
「大学時代は欲張んなきゃだめだよ」
という言葉に酔い、あっさり入部。 サークルよりも体育会で!!というノリだったので、一気に決意してしまった。
 


■アメフト編

Xリーグのリクルートシーガルズのトレーナーが主催の講習会に参加したり、長嶋茂雄氏の専属マッサージ氏のところにマッサージを勉強に行ったり、新横浜のスポーツ医科学センターの先生にテーピングを教わったりと、独学の部分が多かったが、勉強って、本来こういうものかな、なんて思ったりもした。
自分で課題を持って、それを追求していく、それを追求していく方法も自分で考える。
いろいろ勉強できました。

アメフトは怪我が多いスポーツで、その分トレーナー技術も発達しているという話を聞いた。
筋力トレーニング、栄養管理、リハビリ、テーピング、ストレッチ、マッサージ。。。
とにかく勉強しました。
試合前の部室でのハドルの時の緊張感、今でも忘れられません。
試合後の選手からの、「テーピング良かったよ、ありがとう」の言葉、たまりません。
よし、この選手たちのため、もっと勉強しよう!という気にしてくれた。

合宿の時に、法政大学トマホークスのトレーナーの密着取材の番組のビデオを見て、選手たちが、
「2年後にお前をここまで連れて行くから」
という言葉に感動。

2年の筑波大学エクスキャリバーズ戦。とても苦しい練習を乗り越え、奇策が功を奏し、結果は圧勝。
皆で涙を流して喜んだ。
実はその試合の数日前、あるキープレイヤーが首を怪我し、手の痺れがぬけず、力が入らなくなってしまった。
例のマッサージ氏のところに試合前夜尋ねていって、対処法を教えてもらい、試合直前に試したら、痺れが一時的に緩和し、
なんとか一試合もった。
だから、この日の勝利の喜びは、選手以上に感じていたかもしれない。

魅力的な選手、マネージャー、トレーナーに囲まれて、本当に幸せな時間をすごしました。
このころから、主役から一歩引いた立場で、主役をバックアップしていく立場が、自分にしっくりきているのに気づいた。
これは、今自分が考えるプランナー像に、ある意味では近いものがある。

■都市計画編

入学当時は建築構造に関心があるのだと思っていたが、考えが変わった。
大学一年の時、幕張メッセを訪れたときに、初めて自分が最も関心がるのは都市計画であることに気づいた。
「まち全体のことを考えてみたい」
という気持ちからだった。
阪神大震災の時、自分が奮い立ったのは、どちらかというとまち全体として、いかに安全・安心・快適に暮らせるか、ということに関心があったのかもしれない。

初めて手に取った都市計画の本は、
「カリフォルニアのまちづくり 都市計画の最先端地域から学ぶ」
という本。
是非、米国にいって見たいと思った。
その当時、オランダの都市計画も注目され始めた時期だった。
オランダも英語が通用する国。
それまで英語は勉強していたが、本格的に勉強しようと思い、英会話にも通いはじめた。

2年の夏には、念願のカリフォルニア州ロサンゼルスに短期語学留学。
いわゆるゲーテッド・コミュニティの中の住宅にホームステイ。
住宅地は緑が多く、公園も広い。
その時期一番感じたのは、公園など都市の空間をよく使いこなしていること。
公園でイベントをしていたり、コンサートを開いていたり。
また、とにかく住環境のレベルが高い。

短期留学での記憶が、今ではプランナーとしての原風景の一つになっている。



2000.2 東京大学都市デザイン研究室との出会い

先輩の紹介で、東京大学都市デザイン(西村・北沢)研究室の方の卒業設計を手伝わせていただくことになった。
現在同研究室の野原さんにもお話を伺うことができ、なんとなく当時思っていたことを伝えたら、
「うちの研究室がいいんじゃない」
といわれ、有頂天に。

また自分が当時住んでいた横浜市は都市デザインが昔から頑張っているところで、その推進主体である横浜市都市デザイン室の室長だった方が、同研究室の助教授であることを知った。

その頃から都市デザインという名のつくものを調べまわった。


2001.3


「都市を生活・空間と制度の両面から捕らえてみたい」
「実際のまちづくりに参加し、いろいろな立場の人と会い、自分が今後どのような立場で都市に関わっていきたいのか、じっくり考えたい」
「都市計画、都市デザイン、防災、都市解析、地域計画、交通計画、建築、土木、社会基盤…いろんな視点を持った人たちと議論したり、何か横断的なプロジェクトをやってみたい」

という思いから、都市デザイン(西村・北沢)研究室で大学院生活を送ることを心にきめ、本格的に試験勉強を開始。


造景no.32で、東大都市デザイン研究室や都市計画研究室のメンバーからなるアメリカン・アーバンデザイン研究会の報告が掲載されていた。

− 都市のデザイン・マネジメント −

当時は意味がよく分からなかったが、取り上げられている事例では、地元密着の組織が、ビジョンのもとに全体をコーディネイトし、都市の再生に貢献したことが分かった。
自分が研究していた、千葉県佐倉市の二つの事例にも共通するところがあり、都市経営、地域自治、地域マネジメント、という言葉が自分の中でキーワードとなっていた。

2002.9

面接。筆記試験は順調だったが、やはり緊張。
友人から「迷わず行けよ、行けば分かるさ・・・」の励ましメールが届き、
気合を入れて面接に乗り込んだが、教授陣が20人くらいズラリと並んでおり、
つい雰囲気に呑まれてしどろもどろに。。。
先生方からは失笑の声も。。

a 晴れて念願の東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻・都市デザイン(西村・北沢)研究室に入学。
毎日同僚と熱く議論。
必ずしも意見が合うことはなかったが、それでも返って自分の考え方の軸が形成されていくのがわかっ
た。
 

■米国調査

M2の夏に、米国オレゴン州ポートランド市に調査で渡る。

調査の目的は、デザインレビューの全過程において透明性が確保されつつ、デザイナーの創造性を尊重したデザインレビューを運用しているという
ポートランド市のデザインレビューの運用実態を調べること。
当時都市計画(大方・小泉)研究室の博士課程の村山顕人さんの調査と予定が合い、ご一緒させていただいた。

村山さんは、成熟時代における計画策定技法に関する研究を行っていた。
僕自身も興味がかなりあり(当時喜多方市でも計画策定中)、インタビューにもご一緒させていただいた。

米国のアーバンデザイナー、プランナー、行政プランナー、市民策定委員会の方からお話を伺ったが、
直感的に思ったのは、プランニングのプロセスを見ていると、いかに実効性のある計画をつくれるか、というところに念頭が置かれていた気がした。
アリバイ的な“市民参加”ではなく、計画を実行していく上で、例えばゾーニングの変更や地区毎のルールの策定、市民団体主導によるソフト的な活動等、地域住民の合意形成が必要となってくるのを当然想定して、そこに関わってくるステークホルダーが計画策定
(「市民参加」という言葉の使い方が行政的な視点が強すぎてあまり好きではないが)計画策定の各段階における市民参加の目的が明確であり、それが計画実行の実効性を高めている印象を受けた。

実効性の高い計画をつくるため、計画策定における市民の役割、行政プランナーの役割、民間プランナーの役割と計画策定技術について考えたいという点で、村山さんと意気投合する部分があり、研究会(都市空間デザイン技法研究会)を立ち上げることになった。


■歴史的な建物での生活

今年で築100年になる木造3階建てのアパートで生活している。
有名な建物で、よく新聞や雑誌でも取り上げられている。

玄関に入り階段を上ると共同の台所があり、その前でよく住人と立ち話をする。
ノリでそのままその人と部屋で飲み会が始まることもある。

僕の部屋からは隣接する歴史的建造物が見えたり、大きな木が見えたりする。
中庭で野菜作りに励む、隣の部屋の住人が見える。

都心とは思えない、素敵な環境で生活できることを誇りに思う。

■NPOでの活動

人との交流の中で、子供たちがいろいろと学んでもらえるよう、子供たちの外出や遊びのお手伝いをするという活動を行っているNPOで活動をした。
大学院生ということもあり、時間も不規則なため、児童館に毎週通うというものではなく、年間に数回ある外出(キャンプ、博物館等への遠足など)の際に参加させていただいた。

自身の反省から、自然や社会との触れ合いの中から、子供たちが自身で色々感じ取り、考えてもらえるよう、
そして自分が何をやりたいのかを見つけてもらえるよう、そういうきっかけを提供するようなことができたら、
と常々思っていた。

運良く、喜多方のまちづくり活動の中で、市内の小学校や地域の人材との連携で、総合的学習の時間を活用したまちづくり学習「蔵探検」を実施することができた。
子供たちが、知識から出た言葉ではなく、自分で感じ、自分の論理で導き出した意見を述べ合っていたときは、正直感動した。

必ずしも、いろんな意味で家庭環境に恵まれない子供たちは多い。
そんな中、友達や地域の人々との交流から学んでいける環境に、僕は期待している。
自分の実体験から本当にそう思う。

まちづくり学習に対して、それなりに思いをもって取組んだ。

 

■喜多方プロジェクトs

福島県の会津地方の北方に位置する喜多方市。
ここでのまちづくりに、都市デザイン研究室の喜多方チームが2年前から密着して関わっている。

交通費等の費用は財団からの助成を受けている。行政からの委託ではなく、TMOの委託でもなく、任意団体の「喜多方蔵の会」と協働でまちづくり活動を活発化させていくため、自主的なプロジェクトであった。

一番学んだのは、 立場、専門が異なる皆さんが、それぞれの熱い思いを持っていて活動していたこと。
酒蔵を改修して風土館にして公開したり、会津弁で昔語りをしたり、喜多方の伝統的な染め型紙を用いて染物をしていたり、観光ボランティアを育成していたり・・・。
でもそれらの活動が、必ずしも順調に行われてはいなかったこと。

追いコンでは自信を持ってこう言った:

「まちには、それぞれいろんな立場で、様々な“思い”を持っている人たちがいることが分かった。その思いを“紡ぎ”、大きな流れにしていきたい、その仕掛け人になりたい」

a 追いコンで述べた言葉を実践すべく、且R手総合計画研究所に入った。

 

↑上に戻る